みどりばこの日記

自然、文化、留学

今年の12月

渡米2年目になってからの半年は、その前の一年とは全く異なり、時間がみるみる過ぎ去っていった。

1年なって慣れたからなのか、2年目でやることが増えたからなのか、同じ時間を毎日過ごしているにも関わらず月が目まぐるしく変わっていく。むしろ時間が過ぎていくことに対する焦りすら感じる。

 

試行錯誤の1年だった。職場、人間関係、時間、自分の力ではどうしようもないことがものすごく多かった中、何ができるか、何が最善策なのか、どうすれば自分と自分の大切な人たちにとってベストな選択ができるのか、を考えながら過ごす日々だった。もんもんと過ごす日もあれば、極度の焦燥で涙が出てくることもあった。自分にとっての正解を毎日考え続けた。

 

特に今年の秋はひたすら課題に追われていた。10個以上のチェックリストを抱えながら日々過ごしていた。自分で自分を追い込んだ。とりあえず必死にできることから一つずつやっていく。毎日チェックボックスをマークしては新しいものを書く。、の連続。それがようやくひと段落。まだまだチェックボックスは残っているが、ようやく少しずつ成果が出てくるきていることに安心した。

 

そして12月。

 

世間はクリスマスシーズン。すっかり寒くなってイルミネーションが綺麗な季節になった。昨年はNY初めてのクリスマスでルンルンだったが、今年はどうも気分が乗らない。どうしてだろう。街中のクリスマスを楽しむ気分ではなく、クリスマスツリーを見てもクリスマスソングを聴いても昨年ほどは感動しない。
NYに慣れただけだろうか、飽きたのだろうか、燃え尽きたのだろうか。周りの友達のように、クリスマスを一緒に祝える家族が米国にいない孤独感なのだろうか。ただただ年の瀬を待っている、クリスマスが過ぎるのを待っている自分がいた。そう考えてしまうことを嫌う自分もいた。

 

NYの生活も折り返し。3年のプログラムの半分が終わってしまった。1年半長かったのか短かったのか、今はわからない。来年中には不意にも職場が変わってあと半分を過ごすことになる。NYでの時間を、この20代後半の大切な時間を、無駄にしないように、日々精進していきたいと思う。そして、来年の12月は、大好きなクリスマスシーズンを全力で楽しめるようになりたい。

 

 

12月@NY

12月になり一気に薄暗くなった。

まず、Day light savingが終わった影響もあり、夜が益々早く来るようになった。夏は21時でも明るかったのが今では1630には真っ暗。
そして、天気も悪い。曇りや雨がほとんどで、太陽が見えたら嬉しい。ヨーロッパ北部並みに日中も薄暗い。

 

ただ、12月になって街は輝きを放っている。夜になるとイルミネーションや高層ビルが至るところでキラキラしており、クリスマスマーケットもたくさんある。クリスマスツリーももちろん。特にロックフェラーセンターのクリスマスツリーはNY市民も一度は見にいくものらしい。今年のツリーはQueensbury, NYからの贈り物。毎年、ロックフェラーさんが一番好きなツリーが来るんだって。見にいくのが楽しみ。

人もキラキラしている。帽子、マフラー、手袋、ダウンは必須。そういうものにくるまっているのに手にはラッピングされたプレゼントやお花を持っている。家族、友達への贈り物だろうか。ショップで吟味している人も増えた。やはりクリスマスシーズンは大事な人たちと過ごす特別な時間なのだろう。Post office(郵便局)に行った際、大きなプレゼントを贈るおじいちゃんおばあちゃんの姿がたくさん見受けられ、ほっこりした。一人で歩いている人も減った気がする。大切な人の暖かさを肌で感じる季節なんだろう。

 

初めてのNYでの12月。寒いけれども、今のところ楽しい。

日本と違って忘年会、新年会、という文化はない。クリスマスが終わったらホリデイシーズンも終了だ。三が日をゆっくりすることもなく、1月2日から仕事だ。

街の輝きがなくなる1月2月が恐ろしい。。でも2月に楽しみができた。それまで頑張ろう。

ビザ問題

米国に住むまでこれほど大変だとは思っていなかった、ビザ問題。
米国に住みたい場合、ビザをどうするかが、誰もが頭を抱える事項である。
移民が多い国であるにも関わらず、非国民に対して永住権を持つ人が非常に有利である国であり、苦しい。(永住権を持つ移民とは、グリーンカードを持っているかCitizenshipがあるか。)
「〜〜ができない」という壁は日々の生活で感じる。例に挙げると、採用されにくい、選挙で投票できない、特定の銀行のアカウントが作れない、など。

ただ、一番大きいのが、一度ビザを交付されていても簡単には「米国に住み続けることができない」ことだ。

我々はビザを得る際、期間を決められた形で、自分のステータスに定められたビザを得る。
ビザには様々な種類がある。学生ビザであれば比較的簡単に取れるが、それでも期間は決められている。
Jビザ、Hビザでは基本的には、職場がスポンサーとなり、職場が許可する種類のビザが交付される。しかし、職場がビザの交付を拒否したり、米国にいるための理由が認められなかったりすると、入国を認めなかったり帰国を求められたりする。
米国に住んでいる日本人に会うと、頻回にビザの情報交換の会話になる。ビザをスポンサーしてくれる就職先が見つからない話、数年後にビザが切れてしまうが更新する道がない話、グリーンカードを持つパートナーを真剣に探している話、などそれぞれだ。ただ、非国民である限り、皆苦労していることは同じである。

それは日本人だけの話ではない。先日、ニューヨークシティーラソンのボランティアを行った。具体的には、J1ビザ主催の給水所にて、ランナーにゲータレードをあげる仕事を、J1ビザで米国に来ている数十人の同年代の方々と共にやった。
彼らと話してみると、我々の共通の話題がビザの問題だった。
スポンサー探しから苦戦した方も大勢いた。そして、職場以外にスポンサーになってくれるプログラムが少なからず存在することもわかった。

その例が以下だ。

Au Pair
一年間18−26歳の若者に渡米の機会を与えるプログラム。米国の家族のもとで一緒に住み、子供のお世話をするのが仕事であり、給料も少なからずもらえる。出会ったメキシコ人は、自国での仕事に面白みを感じず他の世界を見てみたい、あわよくばその後も米国に住み続ける手段が欲しい、永住権が欲しいと、いう理由でこのプログラムにアプライしていた。

Cestum?(正式なスペリング忘れた)
国外のEngineerたちがアメリカの企業でStep upをするために18ヶ月ビザをサポートしてくれるプログラム。メキシコでEngineerをやっていたけれどもさらに恵まれていた環境で学びその後自国で貢献したいっていう人や、ウクライナで大学卒業と同時に就職先を求めてEngineerとしての道を選んだ人がいた。

誰もが、1年半以上滞在するにはビザの更新が必要となり、そうなるとさらに働く場所(スポンサーとなってくれる場所)が必要である。皆探していた

 

また、私の職場でも、カナダ人やイギリス人、アイルランド人など親米国でもビザで苦戦している。毎年、グリーンカード取得のためのロッテリーに参加している方が大勢いる。

 

これまで、ビザ問題で帰国した方々をたくさん見てきた。

日本のビザも取得が難しいが、米国がなぜ移民をここまでも追い出そうとするのか、不思議でならない。他の国の才能・技術・意識の高い人の夢をビザによって遮られるにはあまりで残酷である。

〇〇の功績を残したらグリーンカードを取得できるシステムを導入してくれる日は待ち望む。

スタンダップ コメディ

先週、念願だったStand-up Comedyに行ってきた。

場所は「Comedy Cellar」というマンハッタンのDowntownにあるショースタジオ。

Stand-up Comedyとは、舞台に立つコメディアンがマイク一本で観客と会話をしながら客席を沸かせるスタイルのショー。

外国人にとっては、英語が理解できれば笑い続けられる一方、理解できないと苦しい時間になってしまう。コメディアンに話しかけられる可能性も高く、少し緊張する。ずっと行きたかったけれどもなかなか勇気がなく行けなかった。今回は、ドミニカ共和国の友達に「僕も楽しかったから君も大丈夫だよ!」と背中を押してもらいチケットを買った。

観客30−40人ほどの小さな空間で、スポットライトが当たる中央にコメディアンが立つ。6人のコメディアンが持ち時間15分程度で観客を笑わせてくれる。

心配していたが、8割くらいは理解できた。面白かった。でも、意外なネタが多かったので感想を綴ってみることとする。

 

  • Politics 

コメディアン誰もが元大統領をネタに使う。彼を支持するRepublicanがいたらきっと乱闘になっていただろうと思うほど攻撃的な発言が多くみられた。さすがBlue state。それに対して観客は笑う。このコメディだけでなく、さまざまなテレビ番組でも頻繁に彼のネタが取り上げられる。アメリカのPoliticsは終わっている、と残念がったり苛立つフェーズは過ぎ、今は笑えるからむしろ面白がっている。わかってはいたけど、なんて人なのだろう、と改めて思った。

 

  • Race/ Ethnicity

politically correctな発言が常に求められているこの国で、コメディの中であまりに自然に人種や肌の色のJokeをするからむしろヒヤヒヤしてしまった。しかも、白人が話しているのだ。白人が”Black people”についての話をしたり、”Asian people are~~~”とStereotypeで笑いを取るからもう難しい。

 

  • Sex

一方、やはりLGBTQはMinorityなんだなぁと感じてしまった。男女できているカップルにはすかさずどんどんずかずか質問していく。どこで出会ったのか、インスタで出会ったカップルには、アプリで出会ったことに対する周囲の反応や第一印象なども聞いていた。一方、ゲイのカップルには全く話しかけない。あえてかどうかはわからないけれども、やはりそこはセンシティブなのかもしれない。

 

  • NYのネタ

最近よく感じるのは、この街にはNYを好きな人と、NYを苦手とする人、二極化している。コメディアンは、NYのことを、「日々子供が誘拐されるまち」、「前を見て歩くのは観光者だけ」「犬の散歩中が一番他人と話す時間」などと表現していた。観光者にとっては目新しいことがたくさんあって面白いけど、住みたいと思って住んでいる人はどれだけいるんだろう、と思った。

 

  • Religion

NYにはJewishの人が多いのがCaliforniaにいた時と比べて大きな違い。Jewish people, raise your handという問いに対してときに複数の団体が誇らしげに手を上げていたよ。Christianが大半なイメージだったけれども今回Christianの話題はなかった。Jewishのコメディアンは自分達の帽子についてmini hatなんてコメントしたりしていた。私にとってはNYの意外な一面だった。

 

  • Curse words

私が苦手だったコメディアンは言葉で笑いを取ろうとする人だった。話は面白くなくても、最後にCussしたら笑いが取れると思っているようで、困ったときはいつもそれだった。それに対して確かに観客はとても笑っている。ただ、終わった後の盛り上がりや拍手は全くなかった。不快に思うのは、他の観客も同じだったようで安心した。

 

  • Mindfulness / Life-work balance

インドで生まれたコメディアンが、娘の大学の授業についての文句を面白おかしく言っていた。わたしたちの時代にはMindfulnessという授業はなかった、むしろそんなものに時間を費やすならもっと本を読め、プライベートな時間より自己研鑽の時間を増やせ、と言われて育った、と言っていた。それに対して親世代の観客は深く頷いていた。日本でも「ゆとり世代」だから、などと言われているが、どこの国でもこのような感覚はあるのかもね。

 

州、地域ごとの違い

小学生でアメリカに住んでいたときには全く意識していなかったことの一つ、「州,地域の特徴」。

日常の会話のちょっとした話題から事あるごとに議題に上がる。アメリカは州ごとに法律、ポリシー、税金、政治など全て個々に決められており州自体の権力が強く、まさにStatesがUnitedされた国である。

そこまで違いあるの?と疑うくらい、地域ごとの我々の世代が持つ印象・偏見は強い。大都市ニューヨークに住んでいる事で、批判しやすい環境にいるのかもしれない。

数ヶ月で学んだニューヨークの人が持つそれぞれの地域の印象を考えてみる。

 

ニューヨーク

全米、世界中の憧れの地であり、様々な価値観を持った人が集まってくる。ニューヨーカーであることに自信を持っている人が多い。Inteligenceも飛び抜けている人が集結していること、英語話すスピードがみなとても早い。さらに、移民が多い上、グローバル化が進んでおり、街中ではいろんな言語が飛び交う。ニューヨークに生涯住んでいても英語が全く話せない方々もたくさんいる。ホームレスも多い上、住民税(州Tax、市Tax)のTax率が鬼高い。
”I like the vibe of this city. Nobody cares."というように、誰が何をどこでやっていようが、それぞれの勝手。何かをみて強く非難する人もいなければ、肯定する人もいない、というスタンス。居心地は良いが、興味がない限りお互いに無関心とも言えるかもしれない。

 

MidWest

Indiana, Illinois, Missouriなどの州はMidWestという括りで話されることが多い。MidWestは全体的に保守的。Red stateが多くて、まだまだBoys>Girlsというような固定観念を持っている人が多い。治安が悪い街ランキングにもよくランクインしている印象。特に、シカゴは第2のニューヨークと言われているが、白人が多め。勝手にニューヨークにライバル意識を持っている人も多いんだって。ニューヨーカーとしては住みたいと思うことはあまりないらしい。人はやわらかくて、優しい人が多い。

 

カリフォルニア

ニューヨークは特にロサンジェルスと比べられることが多いが、ニューヨーカーでカリフォルニアを好きな人は少ない。カリフォルニアに住みたい、と話すとなぜ?という顔をされ、風景が良いから?と言われる。話すスピードがゆっくりで、土地も広くゆったりと生活するイメージ。National Parkや観光地がたくさんあるのに不思議と、国内旅行でカリフォルニアまで行く人は少ない印象。

 

フロリダ

ディズニーワールド、シーワールドなど遊園地がたくさんあって楽しいイメージだったが、どうやら違うらしい。ある人は、フロリダの良いところは住民税が少ないことだけかな、と言っていた。グローバル化が進んでおらず地元民のプライドが強く、移民が少なく、vibeが違うらしい。本当かな。。。

 

シアトル(ワシントン)

海鮮が美味で住んでいる人もかっこよく印象が良い。可愛らしいお店も多いらしい。シアトルを悪くいう人はあまり聞いたことがない。

 

ボストン(マサチューセッツ

ニューヨークと違って街が綺麗。気候もよく、治安も良く、ニューヨーカーがボストン近郊に家・別荘を持っている、という例も少なくない。ハーバードやMGHもあるし、ボストンに住んだことがあるニューヨーカーは多い印象。1、2日でいく旅行先としては抜群。

 

まだまだありそうだけれども、私が感じたニューヨークの人が持つ印象はざっとこんな感じ。子供の頃、全部の地域行ったけれども、こんな印象は持たなかったんだよな。
それでもそれぞれの地域に人、文化、価値観、など固有の特徴があるのは面白いよね。

 

*あくまで主観です。間違っていることもあるかもしれません。

Indigenous People's Day (先住民の日)

10月の第2週の月曜日。

子供の頃覚えた記憶ではその日は「Columbus Day」だった。10月に入ると小学校ではChristopher Columbusのコスプレをしたり、彼のアメリカ発見までの道のりまでを映像や本で学んだ。In 1492, Columbus sailed the ocean blue,~~~ とクラスメートと歌ったのも良い思い出だ。


*Christopher Columbus=1492年にヨーロッパから大西洋を航海し、アメリカを発見したイタリア人。

 

しかし、昨日衝撃を受けた。Columbus Dayなのに仕事だ、と嘆いたところ、友人に「Columbus DayではなくIndigenous People’s Dayと言った方が良い」と言われた。祝日の名前が変わるのは日本でもあることだが、どうやらColumbusを非難する声が多く上がっているためそう呼ばなくなったのだと。Columbusがアメリカを発見したことによって、元々住んでいたNative Indiansの生活が激変してしまったことや、Columbusが原住民の命を奪うような行動をしたことなどから、Christopher Columbusをお祝いするのは間違っている、という声によるものらしい。調べてみると、賛否両論ありそうだ。2014年頃から、州によっては正式に祝日の名前を変えた場所もある(50州中14州)。ニューヨークは変更していないため正式にはColumbus Day。ただ、確かにその名前を口に出す人は今年一度も聞いていない。”National Holiday"とか”Indigenous People’s Day”と周りも皆言っている。20年前、私がアメリカのヒーローだと思っていた人がこれほど非難されているなんて、思いもしなかった。

 

実際、さらに面白いことに、大統領がProclamationを出しているのだ。2021年、2022年と2年連続で、10月●日をIndigenous People’s DayとしてNative Americansを称えよう、とWhite Houseから公文を発表している。もうColumbus Dayの面影がなくなりかけている。

www.whitehouse.gov

 

アメリカはこういう話題に非常に敏感である。今回は友人に指摘してもらったから特に問題にはならなかったけれども、常にアンテナを張っていることの大切さを改めて実感した。

 

Happy Indigenous People's Day!!!

 

ちなみに、Columbus CircleにはちゃんとChristopher Columbusが今もいて、その銅像の写真を撮っている観光客は毎日のように見るんだけれどもね。

今のところニューヨークでは銅像撤去するほどの非難ではなさそう。

Columbus Circle

 

時間がゆっくりに感じる

渡米してから3ヶ月半が経った。

 

一般的に人間は歳をとるほど時間が過ぎるのが早く感じるようになると言われており、その通りだと思う。高校三年間より大学の方が短く感じた。卒業後渡米前までに2つの職場で働いたが、どちらにいても「もう●●月か」と月日の流れを早く感じていたし、卒業したのもすぐ最近だと思っていた。

 

だが、この3ヶ月半はものすごく長く感じた。

「まだ3ヶ月しか経っていないんだ」と久しぶりに時間的違和感を憶える。
決して暇なわけではないし、毎日真面目に仕事し、休日は真剣に全力で楽しんでいる。
それでも1日1日がゆっくり進む。なぜだかはわからない。でも凄まじいスピードで進むと思っていた毎日が、丁寧に過ぎていく。
朝が早い分仕事が夕方に終わり夜が長いからか、気軽に誘える友達が少なく自分のための時間が多いからか、新しい環境で発見が多いからか、熱中できるような趣味・仕事に出会えていないからか、、。

 

わからない。でも、実に面白い。こんなに時間について考えたのは学生以来だ。

やはりこれも文化の違いに起因するものなのか、と勝手に考察してみる。


学生の時の私は、1分1秒何か自分の身になることをやっていないと満足できない人だった。そのため、常に時間に追われていることを好んだ。Wellnessという概念は自分の中になかった。

もしかしたら、このWellnessの時間の感覚、オンオフの感覚が米国と日本で異なることが時間がゆっくりに感じる原因の一つなのかもしれない。

現代では少しずつ変わってきているが、一般的に日本の働き盛りの社会人は仕事が生活の7−8割を占めておりその他の時間でプライベートを楽しむ人が多い。つまり生活の大部分は仕事で構成されており、仕事中以外の時間でも仕事のことを考えている人も少なくない。
一方、米国では仕事は生活の一部分に過ぎない、という感覚の持ち主が多いように感じる。自分の時間はもちろん、家族や仲間のとの時間を大切にする。Facebookで日本人より仕事のことを載せる人が少ないことや、毎週月曜日にはHow was your weekendと聞く風習、仕事中も仕事以外のトークが多いことなどからも、彼らの生活の中心が仕事ではないことがわかる。(例外はもちろんたくさんあると思うが私の周りの人の多くはこんな感じ)だからこそ、彩りが多い日々を過ごすのも当たり前なのかもしれない。私も少しそれに染まったのだろうか。だとしたら、この時間の流れのゆっくりさは嬉しいことなのかもしれない。

 

生活はさまざまであり、時間の使い方や考え方はそれぞれ個々が決めれば良い話。でも、ここ3ヶ月で感じた時間の流れは、これまで経験してこなかったものだったし、新鮮だった。
ゆっくりに感じる時間を、これからも有意義に、丁寧に使っていきたい。
1年後、2年後はどう感じるのか、楽しみだな。